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執筆者の写真Kevin Asano

The Importance of "Maitta" and "Nintai" (「参った」と「忍耐」の重要性)

日本でトレーニングしていた時に最初に学んだ日本語の1つは、「参った!(諦める)」という単語であった。しかし、長く訓練を続けているうちに「忍耐」(諦めないこと)がどれだけ重要であるかもわかってくる。忍耐とは、どんな困難に直面しても根気よく戦い続けなければならない、という考えだ。では、「参った」という柔道用語はなぜ重要であるのか。 柔道の名門校である東海大学で2年間トレーニングしていた時は、素早く、頻繁に「参った」をすることが何よりも大事だった。東海大学の柔道部は寝技で有名で、抑え込み技、絞め技、関節技の専門家ばかりであった。抑え込まれた際には「参った」は許されなかったが、絞め技や関節技のような危険な技をかけられたらすぐにタップアウトして「参った」の合図をした。さもなければチームメートの手強い技で気を失ったり、腕を折ったりする恐れがあった。 東海大学での最初の数か月間は、6分間の寝技乱取りの間に何度も練習相手に「参った」させられた。自分との乱取りは、組んだ相手にとっては休憩の時間、技を研究したりする機会であったのだ。 「忍耐」と言うものは、何度負けても、何度「参った」させられても、その度に起き上がって戦い続けるということだ。練習では100回「参った」を言ったとしたら、100回立ち上がって稽古を続けなければならない。このような粘り強さがいわゆる忍耐力である。 使徒パウロは死を目前にして、「私は良い戦いをし、走るべき道を走り終え、信仰を守り通した」と宣言したが、全くその通りだった。パウロは何度も失敗して、「参った」をせざるを得なかったが、その度に立ち上がって信仰を貫いた。 これは自分の生徒たちにもぜひ学んでもらいたいものだ。必要な時には「参った」をしても良いが、戦いを続けて行くための忍耐力も常に持たなければならない。

...Kevin

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