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A Coming Fruitful Harvest(来るべき大収穫)

パンデミック以来の月日を共に歩んで来た友人は知っていることだが、ここ数年は今までの人生の中でも特に困難な時であった。これは自分一人の体験ではない。多くの人がコロナの影響で苦労を経験してきた。何をしても成果が見られないように感じ、自分の人生にはもう神の祝福とか保護といったものが無くなったのではないかとさえ思えた。しかし、そのようなドン底の体験、そしてパンデミックの真っ最中で神は新しい道場を開く機会を与えてくれた。なぜ神が新道場という祝福を授けてくれたのだろうかと度々考えた。こんなにも痛みばかり多くて非生産的な自分の人生に、なぜ神は柔道の面で新しい道を開いてくれたのか? 去年の夏のある日、車を運転している最中に、自分の人生がほぼ崩壊状態にあるにも関わらず、新しい道場を開く機会に恵まれたのはなぜだろうかと自分に問いかけた。まるで神自身がその問いに答えるかのように、一つの考えが頭に思い浮かんだ。ここ2年間、心が傷つを受けたのではなく、実は耕されてきたのだ。心の土が耕され、じゃまな岩が取り除かれた。今までの苦しみは、一つの種子から30倍、60倍、100倍もの果物が実るための準備だったのである。 今年の春、裏庭のマンゴーの木にこれまで以上につぼみや花が咲いていることに気づいた。例年つぼみや花のほとんどは、やがて風雨で吹き飛ばされたり腐敗したりして、実を結ぶことはなかった。何度も木を切り倒そうかと考えた。かき集めて捨てなければならない腐った枝や枯れ葉しか生み出さない無駄な木だと思っていた。驚いたことに、月日が経つにつれてマンゴーの実がなり始め、今日、もうすぐ熟する果物でいっぱいだ。神が自分を祝福し、自分の人生を実りあるものにしたい、と言っているように感じる。マンゴーは、神の善と恵みのシンボルのようなものだ。来たる豊作が自分の努力とは何の関係もなかったのと同様、この人生にもたらされた祝福は自分の力で成し遂げたものではない。自分にできることは、謙虚な気持ちで神に自分の硬い心をこれからも耕してもらうことである。 人生を取り巻く状況は変わっていないかもしれないが、神の思うままに自分が変っていかねばならないという心の態度が、これからの人生に違いをもたらすと信じている。

...Kevin

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